乳がんの抗がん剤治療もいよいよ後半に入り、2024年3月11日からは「ddパクリタキセル」の投与が始まった。
前半のAC療法(ドキソルビシン+エンドキサン)とは副作用の種類が変わると聞いていたため
「少しは楽になるかもしれない」と、淡い期待を抱いていたのを覚えている。
でも、現実はそんなに甘くはなかった。
ddパクリタキセル初回投与|点滴中から感じたアルコール臭
パクリタキセルを受ける前に、「この抗がん剤には、500mlのお酒と同じくらいのアルコールが含まれているから車で来ないでね」と注意を受けていました。
それを聞いたときはびっくりしたけれど、実際に点滴が始まってからは、自分からアルコールの匂いが漂ってくるのがはっきりとわかり、さらに驚きました。
マスクににおいがこもる気がして気持ち悪くなり、正直つらかったので、マスクを外していました。
それでもAC療法よりは“楽”に感じた副作用
意外だったのは、それ以外の副作用がAC療法に比べてかなり楽に感じたことだった。
頭痛や顔の痛みは出なかったし、味覚も問題なし。吐き気もひどくなく、その日の夜は子どもと一緒にごはんも食べることができた。
とはいえ、怖かったので、口にしたのは豆腐と山芋だけ。それでも「一緒に食卓を囲めた」ということが本当にうれしかった。
そして、ジーラスタの地獄がやってくる
抗がん剤の翌日夕方には「ジーラスタ」の注射。
ここからが本当の地獄だった。
注射を打ったその翌日から全身の激痛が始まり、布団に入っても眠れない。
というか、ベットで横になることもできなかった。
身体中の骨が痛くて腰や背中も痛かったが、特に膝より下がひどかった。
とりあえず激痛で、ひざ下を握りしめながら、ただひたすら耐えました。
4日間は一睡もできませんでした。
「ドキソルビシンのほうがまだマシだった」と思うほど、泣きながら痛みに耐える日々でした。
しびれと麻痺も加わっていく…
痛みだけでなく、手足のしびれや麻痺も少しずつ出てきた。
手先やくるぶしより下がしびれと麻痺で歩くのも億劫になってました。
まだ我慢できる程度ではあったが、これがずっと続くのかと思うと精神的にもつらかったです。
痛みが引いた後は、歯茎が腫れた…
ジーラスタを打って、4日間の痛みに耐えた後は、口の中がパンパン。ぶよぶよに腫れました。
ご飯を食べるにも痛くて痛くて、食べるのが辛かったです。
腫れすぎた歯茎の隙間に、食べ物が詰まったり、奥歯で歯茎を噛んでしまったり。
痛いのもあるけど、気持ち悪かったです。
治療の継続を迷った2回目以降
抗がん剤の前には毎回、副作用の聞き取りがあるので、痛みやしびれのつらさは正直に伝えていた。
そして、毎回の血液検査で異常がなければ投与が可能となる。Dr.の診察も必須なので、そのたびに「つらすぎる」と訴えていました。
2回目の投与後は、痛み止めとしてカロナール・ロキソニン・トラムセット・リリカを処方してもらいました。
が、これらの薬はまったく効かず、ジーラスタの後の4日間は再び眠れない夜を過ごした。
痛みは日にちが経てば少しずつおさまってくるが、麻痺やしびれは改善しなかった。
「もう無理、治療やめたい…」そればかりが頭によぎってました。
減薬の提案、でも私は選ばなかった
主治医からは「私は副作用が強いので減薬対象になるから、どうする?」と言われました。
気分も滅入っていたため、減薬したかったので減薬したい!とお願いしました。
が、そのときふと頭に浮かんだのは「これで減薬して再発したら、まちがいなく後悔する」という思いが出てきて、悩みに悩んだ末「今回だけ頑張ろう」と決め、もう一度頑張ってみることにしました。
3回目のあと、心が折れかける
3回目もやはりつらかった。
痛みに耐える私を見て、子どもや彼が「もう抗がん剤やめていいよ」と言ってくれた。
その言葉にどれだけ救われたかわかりません!!
「もうやめよう」「やっと終われる」とホッとした気持ちになりました。
ですが、残り1回。
なんとかこのまま頑張れるかな?という気持ちにもなれました!!
なので気持ちを切り替え、最終の4回目に向けて自分を奮い立たせた。
そう思えたのは「やめていい」と言ってもらえたからだな!と思います。
最後の1回、「これで本当に終わりだから」
4回目ももちろん激痛だった。
でも「これが最後」とわかっていたからこそ、泣きながらでも時間が過ぎるのを待つことができた。
そして、ついに全4回のddパクリタキセル治療が終了しました。
残った後遺症|しびれ・麻痺と向き合う日々
治療が終わったあとも、手足のしびれと麻痺は残ったままだった。
特に足はひどく素足で家の中を歩くことすらできなかった。
ふかふかのスリッパを履いていないと激痛で立っていられない。
外に出るときも靴を履くのが痛くて苦痛だった。
手のしびれは、治療終了から半年ほどでようやく落ち着いてきた。
でも足は「2年くらいかけて少しずつ回復していくけれど、完全に治ることはない」と医師に言われています。
今も、どれくらい良くなるのか不安はあるけれど「少しでも良くなってほしい」と願うばかりです!!
次は放射線治療へ
抗がん剤が終わってからは、心と体をしっかり休ませる時間にあてた。
2024年5月13日からは、放射線治療が始まる予定だったので、それまでの間はできるだけゆっくり、自分を労わるように過ごしていた。
おわりに
ddパクリタキセルは、AC療法とはまた違ったしんどさがあった。
体の中からアルコールがにじみ出るような感覚、全身の激痛、効かない痛み止め、しびれと麻痺…。
どれも、あの頃を思い出すだけで胸が苦しくなるほど過酷だった。
でも、それでも私はやり切った。
もし今後、再発して同じ治療をする!と言われたら、間違いなく次は治療拒否します!!!笑
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